古典落語「たらちね」

朝食【あらすじ】
 長屋の八五郎に大家が縁談を持って来たが、一つ難点があって言葉が丁寧すぎるというのだ。

 「あっしがぞんざいだから、そのうちに混ざってちょうど良くなる」というわけでその日の内に輿(こし)入れ。八五郎が名を聞くと「自らことの姓名は父はもと京都の産にして姓は安藤名は慶三、字(あざな)を五光。母は千代女と申せしが、我が母三十三歳のおり、ある夜丹頂の鶴を夢見てはらめるがゆえに、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしがこれは幼名。成長の後は清女と申しはべるなり」。

 すべてが名前とは勘違いした八五却はひらがなで書いてもらい、少し練習してその夜は寝てしまう。

 翌朝、八五郎の枕元で「あーら我が君、あーら我が君。白米のありかは何れなりや」。「虱なんかいないよ。ああ米なら蜜柑箱にへぇっている」

 ご飯を炊き、味噌汁の実を迷っているところへねぎ売りが来る。「これこれ、門前に市をなす賤(しず)の男子(おのこ)、男子や男子」とねぎ売りを呼び止める清女。ねぎの銭がいるので「あーら我が君、白根草の値三十二文」。何かというと「あーら我が君、あーら我が君」。「あーら我が君てぇのをやめてくんねえかな。で、なんなんだい」

 「もはや日も東天に出現ましませば、うがい手水(ちょうず)をあそばされ、神前仏前に御明かしを捧げられ、ご飯を召し上がってしかるべし、恐惶謹言(きょうこうきんげん)」

 「飯を食うのが恐惶謹言なら、酒を飲んだら酔ってぐでんのごとしだろう」