[雑司が谷七福神](ぞうしがやしちふくじん

[ご開帳日]通年(各寺社による)10:00~16:00
[歩行時間]約1時間5分
[歩行距離]約3.7km
[最寄り駅]
都電荒川線「鬼子母神駅」、東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」、東京メトロ有楽町線「護国寺駅」

日時等は通年のデータとなります。状況によりご開帳や御朱印受付期間が異なる場合があります。

池袋近郊にありながら、緑や情緒のある風景の雑司が谷は日本ユネスコの未来遺産に登録。
豊島区と文京区にわたり、自然や文化を感じながらの七福神巡り。

[雑司ヶ谷七福神のモデルコース案内]
鬼子母神駅・雑司ヶ谷駅 0.3km/ 5分 →大鳥神社(恵比壽神)0.2km/ 4分→鬼子母神堂(大黒天)0.2km/ 4分 →観静院(弁財天)0.4km/ 7分 →中野ビル(布袋尊)0.2km/ 4分 →仙行寺(華の福禄壽)1.0km/ 17分 →清立院(毘沙門天)0.7km/ 2分 →清土鬼子母神(吉祥天)0.7km/ 12分 →護国寺駅

恵美寿神

【恵比神】
■大鳥神社(おおとりじんじゃ)

 創始は正徳2(1712)年。もとは鬼子母神堂の境内に鷲明神として祀られていたのが、明治維新の神仏分離のためこの場所に移されました。「おとりさま」と呼ばれ、雑司が谷一帯の氏神として親しまれています。江戸時代から続く酉の市は、雑司が谷の風物詩です。地誌によると、創始時に恵比壽神が合祀されていたことから七福神に加えられました。

大黒天【大黒天】
■鬼子母神堂(きしもじんどう)

 江戸時代より安産・子育ての神様として愛されている鬼子母神堂。毎年10月16日~18日に行われる万灯を揺らして練り歩く「御会式」が有名です。本殿は寛文4(1664)年造営で、拝殿・相の間・本殿からなるどっしりとした構えです。堂前には樹齢700年の「子授けイチョウ」があります。大黒堂に祀られる大黒天は、鬼子母神の天神にあたります。

弁才天【弁財天】
■観静院(かんせいいん)

 春には桜のトンネルになる、鬼子母神堂から法妙寺へ続く参道です。その途中にある静かなこの寺院は、元禄年間(1688~1704)の初期に創立されました。かつては一面の梅林だったといいます。秀吉の子飼いから肥後の大名へ躍進した、加藤清正が供奉したご神体がご尊像です。山門を入った左手に、芸事上達祈願の神である弁財天を祀っています。

布袋尊

布袋尊
■中野ビル(なかのびる)

 東通りの中野ビル前にある布袋尊像。大正6(1917)年に建立され、中野石材商店の店頭に祀されました。皇居の二重橋や国会議事堂などの石造建築を手掛けた中野家。その7代目は布袋尊を護持し、尊像は太平洋戦争の戦火を被ったが、8代目によって昭和62(1987)年にこの地に安置されました。池袋復興のシンボルとして地域に愛されています。

福禄寿

【華の福禄
■仙行寺(せんぎょうじ)

 江戸時代初期の創立です。明治41(1908)年に小石川にあった善行院と、隣接する仙応院が合祀して「仙行寺」となり、その後、この地に移転しました。昭和20(1945)年に戦火で焼失しましたが、石造浄行菩薩像(じょうぎょうぼさつぞう)のみが残ります。本堂右側のコンクリート造りのお堂のガラス小窓の中に、木彫りの「福禄壽尊像」が安置され、いつでもお参りができます。

毘沙門天【毘沙門天】
■清立院(せいりゅういん)

 真言宗「清龍寺」として、約770年前に創建されました。後に、村を疫病から救った雲水(うんすい)が日蓮上人像をこの寺に残したことから、日蓮宗「清立院」と改められました。石段脇に「かさもり薬王菩薩安置」の石碑があり、皮膚病・雨乞い祈願寺として親しまれ、三度火災にあったがその度に再建されました。木彫りの毘沙門天像は、豊島区の指定文化財となっています。

寿老人

【吉祥天】
■清土鬼子母神(せいどきしもじん)

 雑司ヶ谷七福神のうち、唯一文京区にあります。「清土出現所」という名があり、雑司ヶ谷の鬼子母神堂に祀られる鬼子母神像はこの地から出土しました。地元では親しみを込めて「清土鬼子母神」と呼ばれています。吉祥天は鬼子母神の娘神です。仏教では毘沙門天の妃をいわれ、福徳安楽を与える天女です。境内には左手に如意宝珠を持った吉祥天像があります。

雑司ヶ谷七福神|東京の七福神