[千寿七福神]
千寿七福神(せんじゅしちふくじん)
[ご開帳日]1/1~7 9:00~16:00
[歩行時間]約1時間35分
[歩行距離]約5.6km
[最寄り駅]JR常磐線、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)、つくばエクスプレス、東京メトロ千代田線・日比谷線「北千住駅」
※日時等は通年のデータとなります。状況によりご開帳や御朱印受付期間が異なる場合があります。
日光街道の初宿でにぎわい、古くから寺社が点在する、千住の町並みを散策しながら七福神巡り。
[千寿七福神のモデルコース案内]
北千住駅 0.7km/ 12分 →氷川神社・仲町(弁財天)0.6km/ 10分 →稲荷神社(福禄寿)0.3km/ 5分 →八幡神社(毘沙門天)0.4km/ 7分 →千住神社(恵比寿天)1.2km/ 20分 →元宿神社(寿老神)0.7km/ 12分 →氷川神社・大川町(布袋尊)1.2km/ 20分 →千住本氷川神社(大黒天)0.5km/ 9分 →北千住駅
【弁財天】氷川神社・仲町(ひかわじんじゃなかちょう)
ミリオン通り商店街を進むと、左手にこの神社があります。社伝によると、延喜年間(901~923)に創建、元和2(1616)年に当地へ移転。ここの弁財天は、弁天池の中島の祠に祀られ、右手に剣、左手に宝珠を持っています。その左右には雌雄の鶏、下部には三猿が刻まれ、弁財天を主尊とした庚申塔となっているとても貴重なものです。
【福禄寿】稲荷神社(いなりじんじゃ)
古くからヤッチャバと呼ばれる市場の守り神として親しまれている稲荷神社。天生4(1576)年の創建。橋戸町から河原町が分離するとその鎮守となります。第二次対戦で社殿を焼失後、国道4号の拡幅で社地を大幅に削られました。現社殿は昭和41(1966)年のものです。その右手に頭の長い味のある福禄寿像が立っています。
【毘沙門天】八幡神社(やはたじんじゃ)
千寿七福神で一番小さな神社ですが、足立区の各地に残る源頼義、義家の奥州討伐の伝統のひとつがここにあります。義家が征伐に赴く際、隅田川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願したことに因み、「白幡八幡宮」とも呼ばれます。明治41(1908)年、現在地に社殿が建立され、宮元町の鎮守として、また財運隆昌(ざいうんりゅうしょう)の毘沙門天として親しまれています。
【恵比寿天】千住神社(せんじゅじんじゃ)
延長4(926)年に創建の千崎稲荷神社と、弘安2(1279)年創建の氷川神社、この2つが明治初期に合祀された西森神社を起源とし、大正に入り千住神社と改称されました。境内にはくるくるまわる「願かけ恵比寿」があります。男性なら左へ、女性なら右へ3回まわし、願いの言葉を3回念じながら白いハンカチで3回なでるのが願かけ法です。
【寿老神】元宿神社(もとしゅくじんじゃ)
千住神社から進むと墨堤通りに合流しますが、交通量が多いので1本右手の道を行きましょう。到着した元宿神社のあたりは現在は元町ですが、かつては元宿。天正年間(1573~1593)に、甲州からの移住者によって開墾され、その人々の守護神八幡神が鎮守として祀れたといいます。鳥居をくぐって参道を進むと、拝殿の手前に寿老神像があります。
【布袋尊】氷川神社・大川町(ひかわじんじゃおおかわちょう)
昔懐かしいレトロな銭湯、タカラ湯を通ってまっすぐ進むと、左手にこの神社があります。千住5丁目の鎮守で、鎌倉時代の永仁年間(1293~1298)の創建とされています。境内には、文政7(1824)年に構築された富士塚があります。これは富士山の溶岩を固めて造られたもので標高約3m。布袋尊の石像は、本殿の手前右に祀られています
【大黒天】千住本氷川神社(せんじゅもとひかわじんじゃ)
徳治2(1307)年に創建。千住が宿場町として栄え始めた江戸時代の初期には、現在地地主の土地奉納によって分社が建てられました。明治43(1910)年には荒川放水路建設のため牛田氷川神社を合祀し、昭和45(1970)年に社殿を新築。鳥居をくぐって参道の正面に建つのが旧社殿。趣ある扉が開かれ、大黒天がご開帳されます。
当日の情報はこちらからご確認ください。
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