[荏原七福神]

荏原七福神(えばらしちふくじん)
[ご開帳日]1/1~7 10:00~16:00
[歩行時間]約2時間
[歩行距離]約7.0km
[最寄り駅]JR京浜東北線、東急大井町線、東京臨海高速鉄道りんかい線「大井町駅」、東急目黒線「西小山駅」

※日時等は通年のデータとなります。状況によりご開帳や御朱印受付期間が異なる場合があります。

武蔵国、荏原郡の歴史と活気ある荏原商店街散策するコース。
アニメキャラクターの七福神も人気です。

[荏原七福神のモデルコース案内]
大井町駅 0.5km/ 9分 →大井蔵王権現神社(福禄寿)0.7km/ 12分 →東光寺(毘沙門天)1.6km/ 27分 →養玉院如来寺(布袋尊)0.9km/ 15分 →上神明天祖神社(弁財天)0.8km/ 14分 →法蓮寺(恵比寿)1.7km/ 29分 →摩耶寺(寿老人)0.3km/ 5分 →小山八幡神社(大黒天)0.5km/ 9分 →西小山駅

福禄寿大井蔵王権現神社(おおいざおうごんげんじんじゃ)

福禄寿

 大井町駅から徒歩で約9分、立会通りに面したところに立地。福禄寿が祀られたこの神社から荏原七福神はスタートします。江戸時代に火事や疫病が流行ったとき、大井村に住む権現神社の天狗のおかげでこの地域は事無きを得、信仰を集めたといいます。祭礼の際に太鼓を叩いたのが「大井権現太鼓(おおいごんげんだいこ)」の発祥。ふだん神職は不在にしています。

【毘沙門天】東光寺(とうこうじ)

毘沙門天

 開山は天文13(1544)年、什仙上人(じゅうせんじょうにん)のより創建されたと伝えられます。ご本尊には阿弥陀如来が安置され、左仏に脇仏として、開運厄除けとして財宝をもたらすと毘沙門天が祀れられています。「トイレの神様」としても有名です。参道の中ほどに「下の病気」にならぬよう東司(とうす/トイレ)の守護である烏瑟沙摩(うすさま)大明王が祀られています。

布袋尊養玉院如来寺(ようぎょくいんにょらいじ)

布袋尊

 木喰但唱(もくじきたんしょう)が寛永年間(1624~1644)に、高輪に地に建立。明治41(1908)年現在地に移転しました。上野寛永寺に塔頭三妙院が前身で、開山として天海を迎えているが、寺を創立したのは天海の弟子賢海です。古くは「高輪の大仏」として親しまれ、今は「大井の大仏」と呼ばれる本堂の五智如来の前に、木彫の布袋尊が安置されています。

【弁財天】上神明天祖神社(かみしんめいてんそじんじゃ)

弁才天

 鎌倉末期に創建された古社。元亨2(1322)年の大干ばつのときに、巌正寺(ごんじょうじ)の当主、法圓(ほうえん)上人の甥の第二世法密(ほうみつ)上人が、龍神社に雨乞いの断食祈願をし、大雨を降らせ危機から村人を救ったのが天祖神社の縁起です。本殿石に七福神の祠があり、この弁天社には白蛇が夢枕に出てきて吉兆をもたらすとの伝説があります。

【恵比寿天】法蓮寺(ほうれんじ)

恵美寿神

 東急大井町線の荏原駅のすぐ前にある法蓮寺。開山は鎌倉時代中期。日本が蒙古襲来の脅威にさらされていた文永年間(1265~1275)とされます。源氏の末商。荏原徳次郎(朗慶上人)が開祖です。徳川十一代将軍家斉(いえなり)公が、鷹狩りのときに立寄り、三十九世住職日詮(にっせん)上人と角力(相撲)をとったと伝えられています。

【寿老神】摩耶寺(まやじ)

寿老人

 中原街道を横断した荏原の住宅地にある摩耶寺。摩耶寺の山号は仏母山。寛文7(1667)年に開山されたこの寺は、山号が示よう釈迦の母である摩耶夫人が祀られています。延宝6(1678)年制作の木造摩耶夫人立像は、品川区指定有数文化財です。老朽化が進んだ伽藍(がらん)は、昭和53(1978)年に現在の本殿に改築されました。

【大黒天】小山八幡神社(こやまはちまんじんじゃ)

大黒天

 摩耶寺を出てすぐに左折した高台にある小山八幡神社。創立は不詳ですが、社伝には鎌倉幕府の頃と伝えられます。小山の名の通り、区内随一の誇る35mの高台にあり遠望良好です。「しながわ百景」にも選ばれました。境内から眺める絶景には七福神めぐりを終えた達成感を覚えます。品川区の天然記念物に指定されている2本のシイノキも要チェックです。

当日の情報はこちらからご確認ください。
[荏原七福神]詳細は 〉

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