[武蔵野吉祥七福神]
武蔵野吉祥七福神(むさしのきっしょうしちふくじん)
[ご開帳日]1/4~1/7 10:00~15:00
[歩行時間]約2時間30分
[歩行距離]約8.7km
[最寄り駅]JR中央線・京王井の頭線「吉祥寺駅」/JR中央線「武蔵境駅」
※日時等は通年のデータとなります。状況によりご開帳や御朱印受付期間が異なる場合があります。
井の頭公園や商店街など楽しく散策。緑道や欅並木も美しい、見どころ満載の七福神コース。
[武蔵野吉祥七福神のモデルコース案内]
吉祥寺駅 0.8km/ 14分 →大盛寺・井の頭弁財天(弁財天)1.5km/ 25分 →武蔵野八幡宮(大國様)0.1km/ 1分 →安養寺(布袋尊)0.7km/ 12分 →大法禅寺(福禄寿)2.6km/ 45分 →延命寺(寿老人)→延命寺(毘沙門天)2.5km/ 45分 →杵築大社(恵比寿神)0.5km/ 8分 →武蔵境駅
【弁財天】大盛寺・井の頭弁財天(だいせいじ・いのかしらべんざいてん)
「井之頭略縁起」によれば平安時代の天慶年間(938~947)に源経基(つねもと)が創建したそうです。井の頭公園の中の島に鎮座し、神田上水源の水神として江戸の人々に広く信仰されました。徳川家光により建立された社殿は焼失しましたが、昭和2(1927)年に再建されました。一般的に弁天様は2本の手の女性ですが、井の頭弁財天のご本尊は8本の手を持った八臂(はっぴ)像です。
【大國様】武蔵野八幡宮(むさしのはちまんぐう)
桓武天皇の御代までさかのぼる延暦8(789)年、坂上田村麻呂が奥州征伐の際に武運長久(ぶうんちょうきゅう)を祈り、当地に宇佐八幡大神(うさはちまんおおかみ)のご分霊を祀ったのが始まりです。武蔵野の農民の氏神様として厚い信仰を集めてきました。文化10(1813)年記銘年号のある石の鳥居や狛犬は、貴重な文化財として知られています。毎年9月中旬に行われる例大祭が盛大です。
【布袋尊】安養寺(あんようじ)
開山は寛永元(1624)年、開基は北条氏四十八将の一人である布施弾正左衛門康貞(ふせだんじょうさえもんやすさだ)です。吉祥寺四軒寺ぼひとつで、多摩四国八十八カ所第一番札所です。毎年春から夏にかけて大勢の巡礼者が訪れます。甲辛供養塔(こうしんくようとう)は武蔵野市有形民俗文化財で寛文5(1665)年に建てられました。ほかに六地蔵、にこやかな笑顔の布袋尊の石像などがあります。
【福禄寿】大法禅寺(だいほうぜんじ)
江戸幕府から開設されて約30年後の寛永10(1633)年に創建されました。開創時は江戸麻布桜田町(現六本木)にありましたが、昭和7(1932)年、300年におよぶ都心での歴史に幕を閉じ、現在地へ移転しました。徳川家光の摂政下に出雲国松江城下の名刹、円城寺第二世仁叟義貞禅師(じんそうぎていぜんじ)を開山とする禅寺です。境内には吉祥観音像。福禄寿の石像などがあります。
【寿老人】延命寺(えんめいじ)
関前村と呼ばれていた当地周辺が開村した寛文12(1672)年ごろ、八幡神社とともに創建したと推定されます。山門には阿形、吽形にニ体の金剛力士像を配置し、本尊文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、弘法大師、中興の祖興経大師(こうぎょうだいし)、恵心作と伝えられる秘仏薬師如来などを祀っています。寿老人像が長寿の象徴である鹿をつれ、仙術の記された巻物を持ち穏やかに微笑んでいます。
【毘沙門天】延命寺(えんめいじ)
福禄寿とともに、ここ延命寺に祀られているのが毘沙門天です。当時の由緒によると毘沙門天は多聞天ともいわれ甲冑に身を固めた武士で、戦勝の守護神として崇められ、福徳、知恵、美貌、能弁など十種の利益があるとされます。また正月期間は七福神めぐりの特別バスに乗車すると、ここ延命寺で体があたたまる甘酒のサービスを受けられます。
【恵美寿神】杵築大社(きづきたいしゃ)
創建は江戸時代はじめ、松江藩主・松平直政により鷹狩場として建てられ、祭神は大国主命(おおくにのぬしのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)の二神。開運厄除・縁結びの神としても信仰を集めています。境内には高さが約10mにもおよぶ富士塚があり、三多摩に現存するものでは二番目の規模です。恵比寿神は、えびす大黒殿の中に祀られています。
当日の情報はこちらからご確認ください。
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