[下谷七福神]

[下谷七福神](したやしちふくじん)概要
[ご開帳日]1/1〜7(御朱印は15日まで) 8〜17時
[歩行時間]約1時間
[歩行距離]約3.4km
[最寄り駅](鴬谷駅)JR山手線、京浜東北線
(三ノ輪駅)東京メトロ日比谷線

※日時等は通年のデータとなります。状況によりご開帳や御朱印受付期間が異なる場合があります。

距離が短く、気軽に下町風情を楽しめるお手軽コースの七福神巡りなら。

[下谷七福神のモデルコース案内]
鴬谷駅 0.1km/ 2分 →元三島神社(寿老神)0.6km/ 10分 →入谷鬼子母神(福禄寿)0.3km/ 5分 →英信寺(三面大黒天)0.2km/ 4分 →法昌寺(毘沙門天)0.7km/ 13分 →弁天院(朝日弁財天)0.7km/ 13分 →飛不動尊正宝院(恵比寿神)0.6km/ 10分 →寿永寺(布袋尊)0.2km/ 3分 →三ノ輪駅

【寿老人】元三島神社(もとみしまじんじゃ)

寿老人

 弘安の役の名勇・河野通有が大山祇神社から、分霊したことに始まる。
元三島神社の起源は、弘安の役(蒙古襲来1281年)にさかのぼります。勇将 河野通有は蒙古襲来で九州へ出兵、勝利して上野山へ帰り、愛媛県大三島の大山祇神社を上野の山の河野館に勧請したことが始まりです。元三島神社は、徳川幕府から社領を受けますが、御用地となったために上野から浅草へ移転し、現在の地に至ります。

【福禄寿】入谷鬼子母神(真源寺)(いりやきしもじん)

福禄寿

 安産・子育の鬼子母神を勧請。毎年7月6日~8日の朝顔市が開かれる。
鬼子母神は、インド仏教上の女神のひとりです。性質凶暴で子供を奪い取っては食べてしまう悪神だったため、釈迦は鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ改心させました。以後、安産・子育ての守護神として信仰されるようになりました。入谷鬼子母神では、子育ての善神になったという由来からツノのない「鬼」の文字を使っています。

【大黒天】英信寺(えいしんじ)

大黒天

 慶長年間開山。右に弁財天、左に毘沙門天の顔を持つ三面大黒天を安置。
 こちらの三面大黒天は、創建した当初から安置されていたもので、弘法大師の作と伝えられています。正面には大黒天、向かって右は弁財天、左が毘沙門天、後部は宝珠形光背を付けているユニークで徳のあるご本尊です。

【毘沙門天】法昌寺(ほうしょうじ)

毘沙門天

 毘沙門天のお堂の隣に、たこ八郎を祀る「たこ地蔵」が安置される。
元プロボクサーでコメディアンのたこ八郎さん(1940~1985)の地蔵があることで有名です。無病息災を祈願した「たこ八郎地蔵」は、「めいわくをかけてありがとう たこ八郎」と文字が刻まれており、発起人である由利徹さん、赤塚不二夫さん、山本晋也さんらの名前も刻まれています。日蓮聖人御開眼の毘沙門様を奉安しています。

【弁才天】弁天院(べんてんいん

弁才天

 不忍池の姉妹弁財天。朝日弁財天とも。
弁天院は、水谷(みずのや)伊勢守勝隆が寛永元年(1624)不忍池に弁財天を建立すると同時にその下屋敷であったこの地の邸内の池にも弁財天を祀ったのが由来とされています。上野不忍池に弁財天を西方の夕日、東方の水谷を弁天院と称し、両者は姉妹弁財天とされています。

恵美寿神飛不動尊正宝院(とびふどうそんしょうほういん)

恵美寿神

 「空飛ぶお不動さま」。旅人の守り本尊、災厄消除の祈願寺として信仰される。
正宝院は、享禄3年(1530)の創建といわれ、「飛不動」の通称で知られています。古くから病魔や災難を「飛ばして」くれると人々に信仰されていたと伝えられていますが、近年では航空安全の守護神として有名になり、空の安全や飛行道中安泰を祈願する参拝客が多く訪れます。

【布袋尊】寿永寺(じゅえいじ)

布袋尊

 寿永法尼が徳川秀忠の供養のため開山。
寿永寺は、寛永7年建立で寿永法尼が徳川二代将軍 秀忠公の菩提を葬うため、この地に庵室を営んだことに起源しています。また、放生会という動物慰霊の文を発願し布袋尊を勧請して祀っています。幸福を授けるという布袋尊は、地域の人々に長く愛されています。

当日の情報はこちらからご確認ください。
[下谷七福神]詳細は 〉

ふるさと納税「ふるなび」