[多摩川七福神]

多摩川七福神(たまがわしちふくじん)
[ご開帳日]1/1~7 10:00~17:00
[歩行時間]約60分
[歩行距離]約4.0km
[最寄り駅]東急多摩川線「武蔵新田駅」

※日時等は通年のデータとなります。状況によりご開帳や御朱印受付期間が異なる場合があります。

未来への希望を与えてくれる神様たちに出会える七福神めぐり
平成26年にスタートした福運祈願コースです。

[多摩川七福神のモデルコース案内]
武蔵新田駅 0.2km/ 3分 →新田神社(恵比寿)0.6km/ 8分 →頓兵衛地蔵(布袋尊)0.4km/ 5分 →矢口中稲荷神社(福禄寿)0.6km/ 7分 →氷川神社(大黒天)0.5km/ 6分 →延命寺(寿老人)0.6km/ 8分 →東八幡神社(弁財天)0.6km/ 8分 →十寄神社(毘沙門天)0.3km/ 4分 →新田神社(恵比寿)0.2km/ 3分 →武蔵新田駅

【恵比寿】新田神社(にったじんじゃ)

恵美寿神

 矢口渡で非業の死を遂げた南北朝の武将である新田義興をお祀りしています。ご神木のケヤキは樹齢700年。雷や戦火で真っ二つ割けたにもかかわらず、いまだに葉が生い茂り、パワースポットとして多くの人が訪れます。日本を代表するアートディレクター浅葉克己氏より「LOVE神社」オブジェが奉納され、恋愛成就のご利益があるとしても人気です。

布袋尊頓兵衛地蔵(とんべえじぞう)

布袋尊

 正平13(1358)年、新田義興の謀殺に加担した船頭の頓兵衛が、その罪を悔い一体の地蔵を作りました。その「頓兵衛地蔵」を祀るお堂が頓兵衛地蔵堂です。この話は浄瑠璃「神霊矢口渡(平賀源内作)」に登場。また、義興の恨みで地蔵の顔は溶けてしまい別名「とろけ地蔵」ともいわれています。実は崩れやすい砂岩でできているためボロボロになってしまったということです。

福禄寿矢口中稲荷神社(やぐちなかいなりじんじゃ)

福禄寿

 今から約200年前の大凶作の折、百姓であった金子作衛門が京都伏見の国から正一稲荷大明神のご神体を矢口村田町に遷座しました。村をあげて念じたところ、例年にない大豊作になったといいます。昭和10(1935)年、耕地整理のため、今の場所に移築されました。福禄寿のスタンプを押せる台紙が用意されています。

【大黒天】氷川神社(ひかわじんじゃ)

大黒天

 新田神社からほど近いところに鎮座する大田区唯一の氷川神社。この地区の氏神で、ご祭神は、嵐や疫病を司り、こうした災いから人々を守るとされる素戔嗚尊(すさのおのみこと)、拝殿前には一対の狛犬、すぐ横には柵に囲まれた「三社稲荷」が並びます。隔年8月に行われる例大祭には、大勢の人々で埋め尽くされます。大黒天は本殿に祀られています。

【寿老人】延命寺(えんめいじ)

寿老人

 蓮花寺として創建しましたが正平13(1358)年、「太平記」に記されている新田義興の霊が雷花となったといわれる火災で焼失しました。その際、聖徳太子が国家安穏衆人救護のために彫った地蔵尊像だけは難を逃れました。以来「火雷除子安地蔵尊[からいよけこやすじぞうそん](延命地蔵)」と名がつき「延命寺」として再建されました。縁起のいい名前からパワースポットとして親しまれています。

【弁財天】東八幡神社(ひがしはちまんじんじゃ)

弁才天

 江戸時代には「湯坂八万」と呼ばれていましたが、近くの西八幡が合祀し、明治44(1911)年に「東八幡神社」となりました。祭神は応神天皇です。源氏の氏神、また武士の守り神として参拝されました。鳥居の横に「矢口渡」の石碑があり、昔の多摩川の情景がしのばれます。神社は多摩川堤防沿いあり近くにそびえる赤白の鉄塔が目印です。

【毘沙門天】十寄神社(とよせじんじゃ)

毘沙門天

 矢口渡で謀殺されたと新田義興の、十人の従者を祀っています。そのため十騎明神といわれ、「じき」とも「じゅっき」とも称されていましたが、いつからか十寄と書いて「とよせ」の呼称が用いられるようになりました。江戸時代、まず十寄神社へ参拝したのちに新田神社で願掛けを行うと願いごとが叶うとされ、大変栄えたそうです。

当日の情報はこちらからご確認ください。
[多摩川七福神]地図は 〉

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