[八王子七福神]

八王子七福神(はちおうじしちふくじん)
[ご開帳日]1/1~10 9:00~17:00
[歩行時間]約2時間10分
[歩行距離]約7.4km
[最寄り駅](八王子駅)JR中央本線/(西八王子駅)JR中央本線

※日時等は通年のデータとなります。状況によりご開帳や御朱印受付期間が異なる場合があります。

高尾山を望みながら、道中を楽しんで八福神をめぐる。

[八王子七福神のモデルコース案内]
八王子駅 1.0km/ 17分 →成田山伝法院(恵比寿天)0.4km/ 7分 →本立寺(毘沙門天)0.4km/ 7分 →金剛院(福禄寿)0.6km/ 10分 →信松院(布袋尊)0.8km/ 14分 →善龍寺(走大黒天)0.9km/ 15分 →了法寺(新護弁財天)0.8km/ 14分 →宗格院(寿老尊)1.0km/ 17分 →吉祥院(吉祥天)1.5km/ 25分 →西八王子駅

【恵比寿天】成田山伝法院(なりたさんでんぽういん)

恵美寿神

 文禄4(1595)年、八王子嶋之坊宿(現日吉町)に建立され、のちに現在地に移転しました。明治時代に作られた石塀と石灯籠が現存し、当時栄えた店の屋号や遊郭の名が刻まれています。

【毘沙門天】本立寺(ほんりゅうじ)

毘沙門天

 寺伝によれば永禄9(1566)年の開山とされます。第二次世界大戦の際に焼失しましたが、本尊と寺宝はその難を逃れました。現在の本堂は、昭和28(1953)年に立教開示700年の記念として落成されたものです。毘沙門天は通常、剣や鉾を持っていますが、本立寺の像は長刀を持つめずらしい姿です。長刀で災難をなぎ払うご利益があるといいます。

【福禄寿金剛院(こんごういん)

福禄寿

 弘法大師空海の法灯を継ぐ高野山真言宗の寺院です。天正4(1576)年創建です。当時は明王院と号していました。本尊は不動明王で、平成4年に高野山金剛峰寺の別格本山となりました。昭和37(1962)年に東京都重要文化財に指定された「紙本著色高野山図会」ほか、鎌倉時代の「十六善神図」などを都文化財収蔵展示室に所存しています。

布袋尊信松院(しんしょういん)

布袋尊

 天正18(1590)年、信松尼(武田信玄の四女・松姫[まつひめ])が心源院より八王子御所水(現八王子市台町)の草庵に移転したのが創建とされます。「軍船ひな形・寄進目録」(東京都指定文化財)、「松姫座像」(八王子市指定文化財)を保存しています。布袋像は観音堂地階に安置されています。お腹をさすると福徳を授かるといいます。

【走大黒天】善龍寺(ぜんりゅうじ)

大黒天

 開基は長亨2(1488)年、本妙院日英上人(ほんみょういんにちえいしょうにん)によります。江戸期には国定忠次の子分、清水のガン鉄が寺男として寄住していたなどのエピソードがあります。境内に増田蔵六の門弟が建てた碑「増田蔵六小伝」が安置されています。当時の大黒天は米俵に乗って右足を前に出した姿で「走り大黒尊天」と呼ばれるものです。境内は、しだれ桜が初春を艶やかに彩ります。

【新護弁財天】了法寺(りょうほうじ)

弁才天

 開祖は啓連日澄上人(けいうんにちょうしょうにん)で、延徳元(1489)年に隠居する寺として開山されたと伝えられます。その後、延徳2(1491)年に元八王子に改めて開かれ、天正18(1590)年に今の八王子日吉町に転寺しました。アニメ風弁財天の看板を入り口に設置し、テーマソング「寺ズッキュー!愛の了法寺!」をリリースしました。「萌えるお寺」として話題です。

【寿老尊】宗格院(そうかくいん)

寿老人

 文禄2(1593)年、山本忠房が宗格庵と称する草庵を開きましたが、興福寺六世の永雲により良价山宗格院となります。境内には、八王子を流れる浅川の氾濫を防ぐために大久保長安(おおくぼながやす)が江戸時代初期に築いた堤防の一部が残っています。この堤防は、長安の官位である石見守(いわみのかみ)にちなんで「石見土手」と呼ばれました。八王子市の史跡に指定されています。

【吉祥天】吉祥院(きちじょういん)

弁才天

 頼源坊が開基となり、法印賢盛(ほういんけんせい)を開山として応永年間(1394~1427)に創建されました。宝樹房行盛法印が慶長7(1602)年に中興(ちゅうこう)したと伝えられます。昭和20(1945)年当地へ移転しました。本尊大日如来を安置する真言宗智山派に属する密門の寺院です。福徳自在の女神である吉祥天に参拝し、さらに進むと高尾山を望む見晴らしのいい高台があります。

当日の情報はこちらからご確認ください。
[八王子七福神]詳細は 〉

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